カテゴリー : 映画

アバター3D

アバターをTOHOシネマズ六本木ヒルズで見てきた。

キャメロンといえば、一般的には「技術革新によって映画を次のレベルに押し上げる監督」として知られている。

実写にありえないCGを持ち込んで、見せ場を作ってそれを大作映画としてまとめる、というのは今でさえもう見飽きた手法だが、キャメロンがアビス、ターミネーター2で手法として取り入れ、ヒットという形で結果を残すことによってより一般的になった。

もちろんそれ以前にもCGを取り入れた映画は山ほどあったが、キャメロンのやったことは技術革新そのものをお茶の間にいる母親にまでお届けすることだと思う。おふくろさんが今の映画はこんなにすごくなっている、ということを認知できれば、それはもうジェームズ・キャメロンの勝ちといっていい。

今回のアバターでの技術革新は3D。これがキャメロンの出した答えだ。

冒頭から「3Dっていうのはこう使うんだよ、君たち。」
とでもいいたげに、普通の映画だったらまず脚本段階でカットしてしまうような場面が続く。
水滴が浮いている描写や、建物の奥行きを見せるような睡眠装置の段は全くいらないとは思うが、
間違いなく意図的に、ストーリーでひきつけるのではなく、3Dの手法でまず導入部を作ろうという意思が感じられる。

中盤からはナヴィ族の生活
つまりCG+3Dのフェーズということになる。
モーションキャプチャー+CGで作られた世界を実現している。
顔の演技を取り入れているらしく、全身青でキャラクター造形的にどうか、と思っていたナヴィ族に
全く違和感がなくなっていく。感情移入さえ可能になっていった。

終盤は人間+CG+3D
もうこうなってくると今の映画表現の究極を突き詰めていることになる。
人間+パワードスーツ VS CGのナヴィというわけのわからないことに。
シーンとしては燃えるし見せ場なのだが、シーンとして革新的というより、軍人のキャラが強烈で少し笑えてくる。

結局今回もキャメロンの勝ちだと言うことができると思う。
『ストーリー?どんでんがえし?後は君たちが好きにしてよ、でもこの手法を使って大作作った一番乗りはオレだ!』
と言う声が聞こえてきそうだ。
一番乗りは確かにすごかった。



イングロリアス バスターズ

イングロリアス バスターズを観てきた。

20代の僕らにとってタランティーノの映画というのは映画を見に行くというより、
「あの面白い頭の人は今度は何をやらかすのか」という何年か一度の祭り的な要素が強い。

イングロリアス・バスターズは今までのタランティーノ映画に見られたように会話、というよりオシャベリの楽しさが詰め込まれている。たぶんこの映画を見た人なら誰でも虜になってしまうあまりにも素晴らしいクリストフ・ヴァルツの4ヶ国語ナチスとでも言うべきしゃべり芸がこの映画の最大の魅力。
会話の中でもイベントが起こるタイミングを後ろに後ろにずらしているのも演出の1つだと思う。普通ならここでくるだろう、というイベントを全て後ろに持ってくることで、緊張感と興味が持続し続けて観客をずっとハラハラさせるのだ。ここら辺の手腕はさすがだと思った。

カタルシス的なものもタランティーノ節が効いていて、冒頭に交渉してた奴が最終的に交渉に溺れて、交渉とか全然関係ないぜ!というやつらに叩きのめされるというオチがついている。
ブラピが最後にあおりのアングルで吐く言葉が観客に向かってタランティーノが「だろ?」と語りかけてるようで最高でした。
すごく映画的エンターテインメントしていた作品だった。
でも、一般向けではない!誰でも見ていい映画ではない!と断言しておこう、一応。



2012

2012封切り観てきました。

ディザスタームービー(災害映画)なのでストーリーについてあれこれ言うのは野暮です。映像はエメリッヒ監督が「これ以上のものを作るのは無理」とおっしゃっていてお墨付きなので映像目当てに行く人は満足できるでしょう。

僕が地球滅亡型のディザスタームービーに求める要素があったかどうかだけ下に、、

1.主人公が偏屈で家族と離れて暮らしている⇒クリア

2.家族愛(子供&妻)⇒クリア

3.地球滅亡の予兆察知(なんてことだ…)⇒クリア

4.電波・変人・トリックスター登場⇒クリア

5.大統領が国民に向けて演説⇒クリア

6.滅亡までのカウントダウン(どういう方程式に当てはめているのかわからないが秒数まで正確に予想&シミュレーションを超高速で行うコンピュータ)⇒クリア

7.先に行け!⇒クリア

8.ちょっとした機械の故障で主人公たちが絶体絶命に陥る、そして主人公がその障害を命がけで取り除きに行く⇒クリア

映像がすごいと言いましたが、後半の脇役の死にっぷりの違和感とCGの安っぽさが少し気になります。クライマックスに向けて脚本を書き直したのでしょうか?

あと、オバマを意識してかダニー・グローヴァーが大統領役で出てるんですが、これが非常に似合っていない。

やはりダニー・グローヴァーはうろたえて怒鳴りまくってる親父役の方がいい。



THIS IS IT

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いきなりまじめな投稿を。

マイケル・ジャクソンの映画「THIS IS IT」を3回も観てしまった。

言っておくが僕は別にマイケル・ジャクソンファンでもなんでもなかった。
このタイミングで行くのをにわかファンと言うならにわかファンだろう。

一応音楽の基本としてベストアルバムとアルバム2枚を持っていて、DVDのHISTORYを持っている程度。

マイケルのゴシップが耳に入るたびに「マイケル本当はすごいのになー、パフォーマンスで証明できればいいんだけど、いい加減歳だし、曲もしばらく出してないし、、マイケルも確かに変って言えば変だし」ぐらいの感情しか抱かなくなっていた。そういう訳で亡くなったときも音楽業界にとって大きな財産がなくなったという感覚はあったものの、個人的な思い入れがなかったため、喪失感はなかった。

今回この映画を観に行ったのは実はTBSラジオで土曜日9時からやっている「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」にゲスト出演していたノーナ・リーブスの西寺郷太さんの影響が大きい。西寺郷太さんはミュージシャンであり、おそらく日本で一番のマイケル研究家である。

僕は文化放送でやっていたノーナ・リーブスのカモンファンキーリップスというラジオのリスナーで、当時吉本で売り出し中だった今田東野のリップスと共に流れで聴いていたのだった。

その西寺さんがウィークエンドシャッフルに出演されたとき、僕は宇多丸さんはさすが目の付け所がいいな、と思うと同時に西寺郷太さんの「マイケル漫談」とも言うべき面白マイケルトークにすっかり虜になってしまった。膨大な量のマイケル知識に裏づけされ、さらにそれを面白おかしくプレゼンする能力。マイケルという音楽界でもエピソードに事欠かない面白い人を面白く話すのだから面白くないわけがない。

そんな西寺さんがマイケルの死から受けたものは察するに余りあるのだが、彼はただ落ち込んだりはしなかった。マイケルに対する誤解を解いて正確な歴史を広めるため、そしてマイケルに対するミュージシャンならではの視点を記すために本を執筆する。『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』である。
僕がこの本で非常に興味深かった点は主に3つほどある。
一つは契約の件。
モータウン・レコードが契約でガチガチにアーティストを縛っていたことは有名だったものの、それがどういう制約があり、どのような不利益があるのかミュージシャンの視点から語られていること。
二つ目は時代背景の描写。
マイケルが生きた時代を彩った他のミュージシャン、クイーンやウィー・アー・ザ・ワールドに参加したアーティストなどとの関わり、プロデューサーの移り変わりなどについての関係がわかりやすく書かれている。マイケル一人に焦点を当てていたのではわからない背景が描かれている。
三つ目は思惑について書かれていること
はっきり言って推測にすぎない部分もあるが、マイケル周辺で起こった事件についてこの人はこういう事情でこの行動を取ったのではないか、という作者の考えがきちんと書かれている。マイケルの周辺で起こった事件だけ追うならば再販された『マイケル・ジャクソン全記録1958-2009』で事足りてしまうが、音楽業界でどのような思惑を持って人々が渡り歩いて行くのかが作者の論理的な説明と共に描かれている。

長くなったが、THIS IS ITの話に戻る。
西寺さんの本は確かに名著だと思う。
しかし『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』には描かれていないものがある。
それは最後の一幕、THIS IS ITツアーがどのようなものだったかというものだ。
先週11/7放送のウィークエンドシャッフルのシネマハスラーで宇多丸さんがTHIS IS ITを評論していたように、この映画は最後の3幕目であり、長い物語の最後にマイケルは何をしていたかという記録である。このことを確かめなくてはオチのない落語を見に行っているようなものである。これが僕がTHIS IS ITを観なくてはと思った動機だ。

THIS IS ITで描かれていたもの、
それはマイケル・ジャクソンが50歳を迎えてなお、ダンスと歌と音楽的才能の頂点にいた。という紛れもない事実。
自分の子供ぐらいの年齢のダンサーと踊っているシーン。絶対にマイケルにしか目が行かない。世界の一流のダンサー達にまぎれても絶対埋没しない存在感。
歌は軽く流してもリズムは完璧。
曲の構成について的確にアドバイスできるプロデュース能力。
全てが高いレベルで結実しており、やはり「天才」と言うほかない。
そしてこの映画に写っていることでなにより重要なのは、マイケルも歌の構成に悩んだりリハーサルを繰り返してパフォーマンスを作り出す「人間」だったんだという事実。
ケニー・オルテガは意図的に編集したのだろう。下手なナレーションや演出を入れず、一人の天才の人間がショーを作り上げるまでの「記録」として残すこと、そして最前列で最高のリハーサルを見ていた自分たちの幸せをおすそ分けしてあげること。
ありがとう、ケニー・オルテガ、ありがとう、マイケル。

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